032 傷に報いよ

 濃紺の闇の中を進む、一筋の白い光。
 樹木も建物もない平らな荒野の中を、一台のタンクローリーが走っている。
 ヘッドライトが照らし出すのは、転がる岩と砂地ばかり。振り返れば地平線に沿ってきらめく第三区の街の光を臨めるが、進む先にはただ暗く果てのない闇があるだけだ。
 『エリア85』――第三区の最西端に位置し、軍によって立ち入りが厳しく制限されている厳重警戒区域だ。
 区域を貫く舗装道路の両側にはLED灯が等間隔に埋め込まれており、電灯も標識もない闇の中を走る車両を目的地まで誘導してくれる。もし誤って道を逸れたならば、侵入車両の妨害用にとあえて放置されたままの岩々に激突するか、辺り一帯に埋め込まれた対車両用地雷で木っ端みじんになるかのどちらかだ。誘導灯は荒野の直前にある第一検問所で通行許可を得た車両のみをセンサーで感知し、その前後しか点灯しないようプログラミングされている。
 点々と続く光の導く先に、今度は別の白い明りが灯る。次第に近づいてきたそれは、巨大な白い壁だった。反り立つ壁はとても人が越えられるような高さではなく、羽虫一匹の侵入すら拒むように地平に沿ってどこまでも伸びている。
 壁に埋め込まれるように設えられ、闇の中で白い光を放っている施設こそが、このタンクローリーの最終目的地……国立魔法院直轄第三研究所の第二検問所だ。
 検問所の横、舗装道路の正面には、二重構造になっている分厚い鉄の門が固く閉ざされたまま鎮座している。
 門の前で停車するなり慌てた様子でタンクローリーから転がり出てきた運転手に、長銃を携えた警邏兵が怒号を浴びせる。
「遅いぞ、いったい何時間待たせる気だ!!」
「も、申し訳ありません! ご連絡したとおり、途中でエンジンに不具合が……」
「黙れ、言い訳など聞きたくない!!」
 唾を飛ばしながら、警邏兵が銃の柄で運転手を思いきり突き飛ばす。よろけて尻餅をついた運転手は、砂まみれのまま何度も頭を下げた。
「すみません……すみません……ッ!」
「まったく、雑な仕事しやがって……このことは上に報告するぞ。貴様の会社とは契約打ち切りだ。辞表でも書いておくんだな! ……おい、何している。さっさと移し替えろ!」
 ここの責任者であるらしい警邏兵が、怒気をまき散らしながら検問所を仰ぐ。検問所の上部、壁の上に設えられた巨大な二台のクレーンが、重低音を発しながらタンクローリーの上へとゆっくり移動した。詰め所から出て来た数名の警邏兵がタンクローリーへと駆け寄り、積まれたタンクを探知機で念入りにチェックした後、クレーンから伸びたワイヤーを取り付け固定する。
 「上げろ!」という警邏兵の合図で、ゆっくりとタンクが持ち上った。タンクはトラック部分を残したまま巨大な壁を越え、向こう側に待機していた別のトラックの荷台へと収まった。
 運ばれてきた積み荷はここですべて、専用の車両へと移し替える規則だ。固く閉ざされた門が開くことは滅多にない。
 外部からやってきたタンクローリーの役目はここで終わりだが、積み荷であるタンクの最終目的地はもうしばらく先にある。
 タンクを受け取ったトラックが走り出す。荒野の広がる壁の外から一変、こちら側は一帯がコンクリートでぱりりと舗装され、石ころひとつ落ちていない。
 煌煌と電灯に照らされた道路の先には、夜の闇にこつ然と浮かび上がる白い巨大な建造物。
 国立魔法院直轄第三研究所。
 『ハコ』という異名どおり、それは本当に箱のような建物だった。
 極端に窓の少ない外壁には凹凸がなく、きれいな立方体のかたちをしており、一見するだけでは何のための施設なのか見当がつかない。まったく同じ形の建物が横並びに三つ連なっており、向かって右の第一棟の地下には新市街第二区から直通地下鉄道が敷かれている。人の出入りはほとんどがその専用鉄道で行われているため、地上には資材や燃料を運ぶための車両しか見当たらず、日中作業の終業時刻を大幅に過ぎている今はそれらもすでにまばらだ。
 研究所の裏側、建物から数十メートル先には、断崖絶壁の大陸の端。研究所と崖の間には、捕獲した竜を保存しておく巨大な倉庫が横たわっている。
 タンクを乗せたトラックはしんと静まったアスファルトの上を速度を落としながら進み、向かって左に位置する第三棟の壁面に開いた入口から建物内へと入った。
 そこは天井の高い倉庫のような空間で、丸いタンクがいくつも置かれ、一抱えもありそうな太いパイプの束があちらこちらに横たわっている。パイプは倉庫内を縦横無尽に駆け回り、幾筋にも細く枝分かれして、最終的には壁の内部へと突き刺さっていた。
「ああ、やっと来たか」
 詰め所らしき部屋から、作業着の男たちがぞろぞろと出てくる。
「ずいぶん遅れたな」
「詳しくはわからんが、運搬途中でなにか事故があったらしい」
「まったく、こんな時期に事故だなんて。部署替えのゴタゴタでただでさえバタついてるってのになぁ」
「発注量を間違えた上の奴らはとっくにご帰宅あそばしたんだろう?」
「もちろん。労いと詫びの代わりに、嫌みを二、三、いつもより余計に置いてな」
「さすが第二区民の落ちこぼれ様だ。揃いも揃って無能な上、口だけは達者ってわけか」
「おいおい、聞かれたら首が飛ぶぞー」
「もうとっくにご帰宅あそばしたんだろ?」
 愚痴りながらも手慣れた手つきで、作業員たちが到着したタンクにポンプを繋いでいく。
「内容物確認、接続完了。EN032番、補給開始します」
 どん、と何かのスイッチが入り、空気が振動する。横たわる太いポンプが、唸りながらタンク内の液体燃料を吸い出し始めた。
「おい、いま連絡があった。タンクの返却は明日でいい、だとよ」
「壁向こうの運搬業者は? 一度帰すのか?」
「さあな。一晩その場で待たせるつもりじゃないのか」
「うへえ、相変わらず意地が悪いな、壁の奴らは。じゃあトラックはここに放置していいのか?」
「返却が明日なら、このまま置いておくしかないだろう」
 ほどなく燃料を移し終えたことを知らせるブザーが鳴り、黄色のライトがピカピカと回る。
「補給完了」
 準備の時よりも心なしか軽快な動きで、作業員たちがポンプを片付けていく。
「よし、終了だ。お疲れ」
「あー、おれたちもやっとご帰宅かー」
「お疲れー」
 足音と話し声が次第に遠ざかり、非常灯を残して明りが消える。扉の施錠を告げる電子音が、ピピ、と鳴り、後には低いモーター音と淡い緑色の明りだけが残った。
 人気が失せ、しんと静まり返った倉庫に、ことん、とほんのかすかな音が響く。
 トラックの荷台で空になったタンク。
 その上部に設えられたハッチが、内側からわずかに開いた。
 タンク内からそっと顔を出したのは、ウェットスーツとゴーグルを身にまとい小さなボンベをくわえた小柄な人影――ソラだった。
 液体燃料を滴らせつつ注意深くタンクから這い出して静かにハッチを閉めると、ソラはすばやくタンクから降りて大きなポンプの束の影に身を潜めた。
 ボンベとゴーグルを外して顔を手で拭い、止めていた息を慎重に吐き出す。
 途端に、肺が引きつるように痛んだ。
 咳き込みたいのを必死で堪え唾を呑むと、今度は舌から食道、臓腑にまでも焼けつく痛みが走る。
 全身を刺す、凄まじい刺激臭。
 ゴーグル内に浸入した液体燃料が眼球を焼き、激痛でまぶたを開くことすらままならない。
 脳天を突くような鼻腔の痛みと耳を塞ぐ鈍痛が、いつもより速い鼓動とともに跳ね回る。
 普通の人間ならば、とっくに昏倒して意識を失っているだろう。
 そもそもあれほど小さな酸素ボンベでは、普通ならすぐに酸素を使い果たし、燃料の中でとっくに溺死しているところだ。
 “ヒトガタ”のソラは、体にどれほどの負担を強いても命を落とすことはない。肉体の耐久性を最大限に利用し、意識を失わない限界まで呼吸の回数を限りなく減らす呼吸法を練習したとはいえ、人体に有害な液体燃料の中に潜んで施設内に浸入するというのは想像を遥かに超えて過酷なものだった。
 全身が熱いのは、有害物質によって破損した細胞を体が修復しているためだろう。
 いくら不死身の“ヒトガタ”でも、まともに動けるようになるまで少しかかりそうだ。
 せり上がる吐き気と苦悶の呻きをひたすら喉で押しとどめ、ソラは体に付着した燃料が揮発してしまうのをじっと待った。
 ああ、水が飲みたい。目を、喉を、体を洗いたい。肺や臓腑まで水で洗浄して、神経を焼くこの毒を今すぐ洗い流してしまいたい。
 ひりひりと痛む手のひらで、ソラは胸を押さえた。
 ウェットスーツの下に、ひたりと硬い鉄の感触。
 ジインと揃いの、廃工場の鍵だ。
 膝を抱えて縮こまりながら、苦痛のすべてを堪えて、呑み込む。
 そうだ、苦しくなんてない。
 ジインが受けた傷に比べれば、こんなもの痛いうちにも入らない。
 じくじくと疼くまぶたの裏側に、昨夜の記憶が蘇る。
 橙色の光に照らされた、透けるような白い肌。
 そこに刻まれた無数の傷と、右胸に染みる竜毒の痣。
 そのすべてをなぞり、一つ一つ確かめて、この網膜に焼き付けた。
 己の決意を、より硬く強固なものにするために。
 いくつかの傷には、ソラも見覚えがあった。それらは貧困街で暮らしている時に、暴漢に襲われたり、“仕事”でしくじったソラを庇ってジインが代わりに負ったりした傷だ。
 けれどそれ以外の無数の傷がどのような理由でついたのかを、ソラは知らない。
 数えきれない傷跡をタオルでなぞりながら、いつ、どこで、誰に、という問いが、何度も喉まで出かかった。それを口に出さなかったのは、正面から訊ねてみてもおそらくジインは何も答えないだろうから。
 けれど、どこか悪意の滲むあの傷はすべて、ジインが魔法院にいる間に負ったものだ。その時ソラがどこにいたかと言えば、無様にも魔法院に捕まりジインの足枷となっていたのだ。
 ――ジインを、守れなかった。
 そして右胸の傷にいたっては、自分こそが傷を負わせた張本人だ。
「……傷に、報いよ」
 幼い自分を庇って負った傷。離れている間に負った傷。そして、この手が負わせた傷。
 傷、傷、傷。
 傷だらけのジインの体。
 その痛みのすべてを、この身であがなおう。
 傷に報いよ。傷に報いよ。傷に報いよ。
 あの傷に、報いるためなら。
 どんな痛みでも、オレは耐え抜いてみせよう。

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