033 Red Light, Red Light,

 『貧困街』の路地のどこかに、ジインはいた。
 ひび割れたコンクリートの壁。抜け落ちたガラス窓。裏路地はソラと何度も通った道によく似てはいるが、似ているだけで同じではない。
 いつか見た景色を、でたらめに継ぎ合わせた世界。
 見上げる空は白く、どこか薄っぺらだ。
 これは夢だ。
 ひしゃげて焦げ付いた一斗缶の中で揺れる炎を見るともなしに眺めながら、ジインはその事実に気づかないフリをした。
 たき火の向かい側に座る透也が、棒で燃えかすをつつきながら他愛ない話をしている。
 その向こうでは、先生とチサ姉がおしゃべりに花を咲かせながら洗濯物を干している。
 背中の方からは、ユータがトモ兄にまとわりつきながら「遊ぼうよ!」とせがむ声。
 表の路地からは、群のみんなが楽しそうにはしゃぐ気配がする。
 この路地を曲がった先には、おそらく母さんがいる。いると感じるだけで、姿は見えない。顔を思い出せないから、きっと夢の中でも会うことができないのだろう。夢特有の不思議な確信で、ラムネ菓子を土産に持った父親がもうすぐ帰ってくるという予感があったが、こちらもきっと予感があるだけで会うことは叶わないだろう。
 居るはずのない人たちが居る、あるはずのない時間。
 懐かしい記憶を寄せ集めた、優しくて残酷な、ぬるま湯のような夢だ。
「おまえ、こんなところにいていいのか」
 さりげなさを装って透也が問う。それには答えないまま、ジインは抱えた膝に顔を埋めた。
 すくめる肩は細く頼りなく、自分がまだ透也と共にいた頃と同じ幼い姿であることを知る。
 いや、もしかしたら成長したと思っていたのは自分だけで、本当はあの頃と何も変わっていないのかもしれない。
 いつだって、流れに翻弄されるだけで。
 いつだって、誰も救えない。
 何の力もない、ちっぽけな自分。
「おれのしてきたことは、何もかも無駄だったのかな」
 膝を抱えたままつぶやく。
 おれは、いったいどこで何を間違えたんだろう。
 いつだって、ただ守りたいだけなのに。
 結局、なに一つ守れなかった。
「まだ間に合うだろ」
「……もう無理だよ」
「間に合うよ」
 力強い声に顔を上げる。断固とした響きと相反するように、透也は優しく微笑んでいた。
「大丈夫。まだ間に合う」
 今ならまだ、と微笑む瞳に、ほんの一瞬、寂しげな色がよぎる。
 ああ、そうか。
 気がついて、ジインは改めてまわりを見回した。
 父さん。母さん。先生。トモ兄。チサ姉。ユータ。群のみんな。
 幼い自分が守りきれなかった、愛する人たち。
 この人たちとの時間は、すでに遠く過ぎ去ってしまっていて。
 もう何をどうしても、そこへ戻ることはできない。
 この人たちを救うことは、もうできない――“間に合わない”のだ。
「まあ、間に合わなくてもそれはそれで人生だけどな!」
 明るく言ってにかりと笑うと、透也は立ち上がって手を腰に当てた。
「いいか、ジイン。人が生まれて死ぬのに、意味なんてないんだ。朝起きて、なんか食うもん探して、何も見つからなかったら盗るかなんかして、とにかくなんか食って、クソして、寝る。以上! 人生なんてただそれの繰り返しだ。意味なんてねえよ」
 でもよ、と言葉を切って、透也は猫に似たつり気味の目でまっすぐにジインを見た。
「でも、意味なんてなくても、おまえ生きるだろ? 誰かのこと、好きになったりするだろ?」
 天へ向けて棒切れをぴっと立てると、透也は芝居めいた調子で仰々しく言った。
「生きたいから生きる! 愛したいから愛す! 人生なんてそれでいいんだ。無駄でも何でもいい。意味なんてなくったっていいんだよ」
「無駄でも、何でもいい……」
 透也の、乱暴だがどこか説得力のある言葉を、ジインは噛みしめるように呟いた。
 胸につかえていたものが、ゆっくり臓腑へ落ちていく。
「だからさ。守れなかったとか何もできなかったとか、んなこたぁ天国か地獄でゆっくり後悔すりゃあいい。人生なんてダメで元々! こんなとこでうじうじ悩んでたって時間が過ぎるだけだぞ? 追いかけたいなら這ってでも追いかけろ。愛したいなら、最後までがっつり愛してこい」
 腕を引かれて立ち上がる。頬の傷をぐにっと歪ませる、あの頃と少しも変わらない笑い方で、透也がにかりと笑った。
「だからホラ、行け!」
 思いきり尻を叩かれ、ジインは数歩よろけた。

 

 いつの間にか体が横たわっていた。
 違う、覚醒したのだ。
 夢から覚めて、現実世界に戻ってきた。
 けれど、まぶたが開かない。
 眠い。眠い。まぶたが接着剤か何かでくっついているんじゃないのかと思うくらい、眠い。
 どうしてこんなに眠いんだ。
 ああ、そうだ。たしか、ソラに薬を打たれて――。
「く、そ……ッ!」
 遠のきかけた意識を奮い起こして、右腕を持ち上げる。ずるずると引きずるように移動させてて口元まで運ぶと、ジインは己の手首に思いきり歯を立てた。
 靄のかかった感覚の端で、かすかに痛みが広がる。さらにあごに力を込めると、遠く鈍かった痛みが次第に鋭いものへと変わった。
 わずかに意識がはっきりした隙に、ジインは無理やり体を起こそうとした。
 ガチン、と金属音がして、左手が何かに引っかかる。
 そちらへ視線を移して、ぎょっとした。
 左手首に旧式の手錠がはめられ、その一方の輪が簡易ベッドの鉄パイプに繋がれている。
 ソラの仕業だろうか。
「……トイレ行く時どうするんだよ、これ」
 どうでもいいようなことを思わず呟く。かすれきった声は自分のものではないかのようで、ぼうっと空気が詰まったような耳にどこか遠く響いた。
 手錠の輪から手を引き抜こうと試みる。人より細めの自分の手首に一般的なサイズの手錠はぶかぶかで、どうにかすれば引き抜けそうな気がしたが、あと少しのところで骨が引っかかってしまう。
 石けんでも塗ったらどうだろう。
 でも、この状態でどうやって洗面所まで?
 そもそも、ここの洗面所に石けんなどあっただろうか?
 あったような気もするし、なかったような気もする。うまく思い出せない。
 ぐらぐらと頭が揺れる。ああ、眠い。眠すぎて目が痛い。
 気を抜けば意識をさらわれそうな頭では、考えがまるでまとまらなかった。
 眠い、ねむい、ネムイ――……。
 人のささやき声が聞こえた気がして、ジインはいつの間にか閉じていた目をこじ開けた。
 出入り口に吊るされた仕切り布の隙間から、何対かの瞳がこちらを窺っている。
 目が合うと、あっと声を上げながら壁の向こうへと隠れた。
 ぱたぱたと軽い足音に、床から大人の腰あたりまでの気配。
「こ、ども……?」
 どうやら、幼い子どもがいるようだ。
 十二、三を過ぎたくらいの少年なら何人か見かけたが、それより年下の子どもはここに来てから初めて見た。
「ばかっ、見つかっただろ!」
「ねえ、まずくない? やっぱりイーザウに言われたとおり奥へ隠れてようよ」
「なに言ってんだ! オレたちは戦士だぞ、いま戦わなくていつ戦うんだよ!」
「……そこでなにしてる?」
 壁の向こうでささやき合う小さな影たちに声をかけると、ひそひそ声がぴたりと止んだ。
 うなずき合うような気配がして、ぱっと仕切り布が払われる。
「動くな! 変な力を使ったらただじゃおかないぞ! こっちには銃があるんだからな!」
 十にも満たないであろう少年にたどたどしい手つきで銃口を向けられ、ジインは顔をしかめた。
 こんな年端のいかない子どもに、扱えもしない武器を持たせるなんて。
 間違えて誰かを傷つけてしまったらどうするつもりだろう。自分を撃ってしまうことだってあるかもしれない。発砲した際の反動に耐えられずに銃であごを砕く可能性だってあるし、銃を手にしているというだけで、幼い子どもであっても攻撃の対象になる可能性だってある。
「……ここの連中は、本当にろくなことをしないな」
「おい、魔法士! なにか武器を持ってるか?」
 大人のそれを無理矢理真似たような口調で、少年が言う。
「武器?」
「銃とか、ナイフとか……ええと、あと爆弾とか、そういうのだよ!」
 ふと見ると、床に置いてあったデイバッグにはすでにあらされた痕跡があった。
 どうやら人が寝ている隙に中身を物色していたらしい。
「そんなもの、持ってない」
「うそつけ! どこかに隠してるんだろ!」
 声変わり前の甲高い声が天井に響く。
 痛むこめかみをさすりながら、ジインはため息まじりに言った。
「そんなもの持っているなら、それを使ってとっくにここを抜け出してる」
 冷静なジインの言葉に、少年があっと気づく顔になる。そしてそれをごまかすように、
「ち、ちぇっ! 使えないやつだな!」
 言いながら、つばを吐き捨てる真似をした。
 決して上品とは言えない大人の仕草を懸命に真似る少年を見て、思わず吹き出しそうになる。
 そういえばソラも昔はおれの真似ばかりしてたな。
 自分のことを“オレ”と呼び出したのも、確かおれの真似で――。
「!」
 どくんと心臓が跳ね上がる。
 そうだ、ソラは。
 あいつは、今どこに?
「しかたねえな……じゃあオレだけ先にイーザウのところへ加勢に行くから、おまえら奥へ行って何か武器探してこい」
「ま、待ってよ、おれもいく!」
「わたしも!」
「だって武器がなくちゃ戦えないだろ」
「――おまえたち、武器なんて探していったいどうするつもりだ?」
 子どもたちの不穏な会話を遮って、ジインが問う。勝ち気そうな瞳がこちらを見た。どこかで見たような、意志の強そうなまなざしだ。
「決まってるだろ、戦うんだよ!」
「戦うって……誰と?」
「誰かはわからないけど……敵だよ!」
 双眸をぎらつかせる少年を見て、ふと気づいた。
 この少年、誰かに似ている。
 強靭な意志を宿した瞳。燃えるように真っ赤な髪。
「おまえ、もしかして――」
 どん、と世界が揺れた。
 簡易ベッドが倒れ、床に投げ出される。天井から鉄くずが降り注ぎ、明かりが激しく明滅を繰り返して影がめちゃくちゃに揺れた。鉄板が倒れるけたたましい音と、床に転がった子どもたちの悲鳴が交錯した。
「な、んだ……?!」
 慌ただしい靴音が頭上を行き交う。どこかの壁が壊れたのだろうか、空気の流れと音が変わった。今までは聞こえなかった銃声が遠くでパラパラと弾け、どこからともなく流れ込んできた煙が辺り一帯をうっすら白く濁らせた。
 胸の奥で警鐘が鳴る。
 いったい、何事。
 倒れた鉄板に挟まれ動かせなくなった簡易ベッドに左手を繋がれたまま、ジインは可能な限り身体を伸ばして廊下を窺った。
「おい、ちびすけ! だいじょうぶか?!」
 壁際に縮こまる子どもたちに声をかける。どうやら誰も鉄板の下敷きにならずに済んだようだ。
 我に返った赤毛の少年が、取り落としていた銃を慌てて拾った。
「おい、いったい何が、」
 子どもたちが再び悲鳴を上げる。その視線の先を見て、ジインは言葉を失った。
 血だらけの人間が二人、一方がもう片方の身体を引きずるようにして、廊下をよろめき歩んでくる。
 近づくにつれて耳に届く、苦しげな息づかい。
 全身を染めるどす黒い赤は、したたる音が聞こえそうなほどで。
 倒れた鉄板をやっと乗り越えるようにしてジインたちのいる空間へと辿り着くと、血まみれの青年はジインのすぐ目の前の壁に寄りかかるようにしてその場にくずおれた。
 その顔を見て、さらに息を呑む。
「おまえ……イーザウ……?」
 それがつい先日、自分を拷問にかけた青年だと気づくのに数秒かかった。
 体中が血に染まり、顔の半分もべっとりと赤い色に覆われ、埃と血糊で髪の色すら曖昧だ。
 さらに、
「あ……おまえ、腕が……」
 先日の一件でソラに痛めつけられたはずの左腕が、ない。
 それがあるはずの場所は、ただただ血にまみれているだけだ。
 腰を下ろした場所から、血だまりが静かに広がっていく。
「おい、早く血を……!」
「わかってる」
 動ける程度の傷であるらしい連れの青年が、仕切り布をナイフで引き裂き、イーザウの止血を試みる。黄ばんだ仕切り布を瞬く間に赤に染めながら、血は溢れ続けた。
「それじゃだめだ、もっと上を縛らないと……!」
 手錠から手を引き抜こうと躍起になりながら、ジインはうなだれたまま動かない青年に必死で声をかけた。
「イーザウ……イーザウ! しっかりしろ、大丈夫か!? おい、いったい何がどうなってる!?」
「軍が、」
 止めどなく溢れる血を必死で押さえながら、青年が短く言う。
 軍が。
 その一言で、ジインは状況を把握した。
 軍が、攻めて来たのだ。
 長年の捜索の末に、ようやく突きとめた『神の左手』のアジトを。
「レ……レインネインは?」
 青ざめながら問う。今まで幾度も軍の猛攻をかいくぐってきた『神の左手』といえど、本拠地のアジトを襲撃されてはひとたまりもないだろう。
 おそらくは、壊滅。
 下手をすれば、全滅。
 廊下へと目をやる。寄り添いながら凍り付いている子どもたちの不安げなまなざしと視線が重なった。
「レインネインとは連絡をとる術がない。逆探知防止のために、誰も通信機を持たずに行った。第二区では旧電波も使えないから――」
「――第二区?」
 その言葉に、ぐぶりと心臓を掴まれた気がした。
 そして、思い出す。
 薬で意識を失う前に見た、雑然と並ぶ旧式の武器と武装したメンバーたち。
 そこに満ちていた、殺気と覚悟。
 そして、
「あ……ソラ……」
 固い決意に捕われた、あのまなざし。
 ――どうしても、あきらめられないんだ――。
 ソラ。
 まさか、『ハコ』へ――?
「おまえ、か……?」
「え?」
 掠れた声で我に返る。血で固まった髪の合間で、双眸が爛と光った。
 赤く焼けつく刃のような、その眼光。
「こ、の場所が……突きとめられる、はず、がない……誰かが、密告したんだ」
 イーザウの喉がごぼりと鳴り、唇からどす黒い赤がこぼれた。
「しゃべるな、イーザウ!!」
「お……おまえ、が」
 力なく投げ出されていた右手が、ゆっくりと上がる。
 震える手には、血で濡れた小銃が握られていた。
「っ、」
 簡易ベッドに繋がれた手錠ががちりと鳴る。

 

「お……おまえ、さえ……いな、ければ……!」

 

 逃げろ、逃げろと、警鐘が体中を駆け巡る。
 けれど、逃げられない。動けない。
 憎悪に燃える眼差しに魂を縫い止められて、呼吸すらできない。
 凍り付いた視線の先で、血まみれの指がゆっくりと引き金にかかり。

 

 耳をつんざく音が、響いた。

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