036 time-out

「――失礼いたします」
 ドアを一歩入ったところで敬礼する。
 さして広くもないデータ室には、真夜中にもかかわらず六名ほどの所員が仕事を続けていた。
 安全な第二区暮らしの中で危機感が鈍っているのだろうか。奪い取ったサイズの合わない警備服を着込んだソラが入室しても、所員たちは個々のモニターに目を向けたまま顔を上げようとしない。
 血で濡れた腕を背中に隠しながら、ソラは慌ただしい足取りで一番近いデスクに近づいた。
「ご多忙のところ申し訳ありません。急ぎのご報告が……」
「報告?」
 デスクに座る所員の男が怪訝な顔で振り返る。
「なぜ直接ここへ来る? 通信システムになにか不具合でも起こったのか?」
 ただならぬ雰囲気をようやく感じ取ったのか、別の所員も近づいてくる。
 数歩の距離まで所員が近づいたところで、ソラは二人を瞬時に殴りつけて昏倒させた。傾いだ体が床へ落ちるより先にデスクを飛び越え、まだこちらに背を向けたままの所員を蹴倒す。人が椅子を巻き込んで倒れた音に、残りの数名がようやく顔を向けた。
「ひ……っ!」
 凍り付く所員に人並みはずれた瞬発力で一瞬で迫ると、ソラは逃げる間も与えずにその場に叩き伏せた。
 データ室をたった数十秒で制圧したソラは、足早に部屋の奥へと急ぐと、一人残った中年の女性所員に銃を突きつけた。
「騒ぐな」
 額にぴたりと銃口を突きつけられ、女は悲鳴の形に口を開いたまま息をすることさえ忘れているようだった。
「余計なことをすれば殺す。死にたくなければおとなしく従え。わかったか?」
「あ……」
「わかったか?」
 凄みのきいた声で繰り返す。眼鏡の奥の瞳を恐怖に見開いたまま小刻みに頷く女に、ソラは一音一音はっきりと言った。
「情報が欲しい。一等魔法錬士の黒瀬路音と、“ヒトガタ”黒瀬ソラの生体情報だ」
「く、クロセジイン……? あ……この間、院から逃亡した……?」
「早く探せ」
 銃口を押し付ける。神経質そうな蒼白の頬が、まるで笑みでも作るように引きつった。
「せ、生体情報を、さっ、探せば、いい、の……?」
「他に情報があれば、それも。とにかく、二人に関するデータをすべてこのチップにコピーするんだ」
 口早に言って、小さな記録チップをデスクに乗せる。
「おとなしくデータを渡せば、命は助けてやる」
 口調を和らげてそう告げると、女の瞳にわずかだが生気が戻った。ぎこちない動きでモニターに向き直ると、女は震える指先でキーボードを打ち始めた。
「一等魔法錬士……黒瀬、路音……」
 しんと静まり返ったデータ室の中に、かすかなモーター音とキーを叩く音だけが響く。
 まわりの静寂とは裏腹に、ソラの内側にはうるさいほどにばくばくと鼓動が鳴り響いていた。
 冷たい汗が一筋、背筋を流れる。逸る気持ちを必死で落ち着かせながら、ソラは何重にも展開していくモニターを目で追った。
 ここまで上がってくるのに、ずいぶんと手間取ってしまった。
 レインネインたちは、今どのあたりまで進んでいるのだろう。
 一刻も早くデータを盗み出さなければ……。
 突然モニターから警告音が鳴り、女がびくりと震えた。
「あ……アクセス不可……?」
「どういうことだ」
「いえ……データベースにはアクセスできるけど、黒瀬路音のデータにロックがかかっているみたいで……」
 警告音とともに現れた“R・S・P”の文字に、女があっと声を上げる。
「R・S・プロジェクト……そうか、彼は“候補”なんだわ」
「R・S・プロジェクト?」
「桐生導師主導で進められているプロジェクトよ。このアクセス権限は私には……い、いえ、やってみるわ」
 銃口をちらりと見て、女がモニターに向き直る。しわの目立つ手指がキーボードの上をせわしなく滑るけれど、モニターに現れるのは警告ばかりだった。
「これも……これもダメ……そ、そうだわ、主任のパスを使えば、もしかしたら」
 廊下から、ぱらら、と乾いた音が聞こえ、二人はぎくりと身を固くした。
「おい、急いでくれ……!」
 動きの止まった女の肩を掴む。と同時に、音もなくスライドしたドアから武器を構えた『神の左手』のメンバーたちがなだれ込んできた。
「ひ……っ!」
 体を仰け反るようにして女が身をこわばらせる。
 ひときわ目立つ赤い髪の女がまっすぐ近づいて来た。
「目当ての情報は引き出せたか?」
「いえ、まだ……」
「そうか」
 言うなり、レインネインは何の躊躇もなく女の胸を撃ち抜いた。データ室の白い床に、女が椅子ごとひっくり返る。
 目の前で起きたことがすぐには理解できずに、ソラはしばし呆然とした。
「残念だが、時間切れだ」
「な……なんて、ことを!」
 我に返り、慌てて女を抱き起こす。ぽっかりと口を開け、女は絶命していた。
「なにも殺さなくても、」
 ぱん、と乾いた音が響く。振り返ると、ソラが気絶させた所員たちに銃口が向けられていた。
「待ってくれ……!」
 制止の声が銃声にかき消される。目の前の惨劇からソラは思わず顔を背けた。
 たちこめる硝煙とさびた匂いに、全身から嫌な汗が噴き出す。
「縛り上げたまま爆発物のとなりに置き去りにするよりはいくらか良心的だろう」
 何の感情もこもらない声でレインネインが言う。
 白い喉を仰け反らせながら、驚いたような顔でどこか遠くを見つめている女を、ソラは見下ろした。
 数秒前まで息をして、言葉を交わしていた女性。その顔は自分が死んだことなどまるで気づいてないようだ。
「……ッ、」
 唇をきつく噛みしめる。
 なんでもする。どんなことでも耐え抜いてみせる。
 必要ならば人だって殺してみせる、と。
 そう心に決めた。
 けれど。
「ロックは解除しました。後は直接、竜の収容庫の制御装置を操作すれば――」
 状況を確認し合いながら、『神の左手』のメンバーたちがコンピューターの近くに黒い物体を設置していく。銃に弾を充填しながらレインネインが言った。
「もうすぐ魔法士団が来る。死にたくないならついて来い」
「待って下さい! データが、まだ」
「残りたいのなら残れ。二分後にはデータもろともおまえも吹き飛んでいるだろうがな」
「……ッ!」
 思わず爆発物に伸ばした腕を、レインネインの銃が払った。
 その銃口がそのままソラの額を狙う。
「言ったはずだ。我々は我々の都合で動く、と。時間内に事を済ませられなかったのなら、それはおまえの不手際だ」
 きつく拳を握り込む。足早に部屋を出て行くメンバーたちに背を向けて、ソラはモニターへ駆け寄った。
 モニターには、先ほどと変わらない警告が点滅している。
 “このデータは、R・S・Projectによりアクセスを制限されています”
 “あなたはこのプログラムへのアクセスを許可されていません”
 数日で詰め込んだ知識を総動員して、ソラは可能性のあるパスコードを片端から入れていった。キーを叩く音とエラー音が、まるで言い争うように交互に繰り返される。
 “あなたはこのプログラムへのアクセスを許可されていません”
 “あなたはこのプログラムへのアクセスを許可されていません”
 “あなたはこのプログラムへのアクセスを許可されていません”
「クソッ!!」
 力任せにデスクを叩く。
 あと一分。いや、数十秒か?
 爆発物を横目に、ソラはぎりぎりまでパスコードを入力し続けた。
 “あなたはこのプログラムへのアクセスを許可されていません”
 “あなたはこのプログラムへのアクセスを許可されていません”
 “あなたは――……”
 爆発物から耳障りな電子音が鳴り響く。
 ――ちくしょう。
 記録チップを掴んでデスクを飛び越える。開いたままの戸口から飛び出した瞬間、ドン、という衝撃が背を叩いた。受け身をとって廊下を転がると、ソラは跳ねるように起き上がってもうもうと立つ煙を振り返った。
「データが……」
 呆然としかけて、唇を引き結ぶ。
 いや、まだだ。
 先ほどのモニターの文字を思い返してみる。
 “R・S・Project”
 いったいそれがどんなプロジェクトで、ジインが何の候補なのかはわからないが、ロックをかけるほど重要なプロジェクトならば関連データはどこかにバックアップされているはずだ。
 ドン、という衝撃で建物が揺れる。廊下に開いた扉のあちらこちらからもうもうと煙が上がり始める。
 最終目的地へ向かいながら、レインネインたちは『ハコ』の主要システムをすべて破壊するつもりだ。その前に、どこかで端末を操作してデータを探さなければ――。
「――魔法士団だ!!」
 煙の中を駆けて来たメンバーが、鋭く叫ぶ。
「……来たか」
 白く煙る廊下の向こうでレインネインが不敵な笑みを浮かべた。

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