042 frozen

「懐かしいね、その歌」
 買ってきた物をテーブルに並べながら言う。ジインが口ずさんでいたのは、この国の人間なら誰もが知っている有名な童歌だ。
「ああ、おまえを寝かしつける時によく聞かせたよな」
 まだおまえがこれくらいの赤ん坊の頃にさ、とジインが肩幅ほどに手を広げてみせる。
「おまえホント寝付きが悪くて。おれが離れるとすぐに気づいて大泣きするんだけど、これを歌ってるとなぜか泣かないから、あの頃は常に歌いながら暮らしてたんだよなあ」
 懐かしいな、と呟きながら、ジインがベッドへ寝転ぶ。少し伸びた黒髪が白いシーツの上へ散らばった。
 天井へと伸ばした指先に、ひらりと白い蝶がとまる。
「本物みたいだよね、それ」
 くすぐったい昔話から話題をそらすように、ソラは白い蝶を示した。
 蝶はジインが手遊びに作ったものだ。本物と見まがう動きでひらひらと優雅に飛び回っているけれど、それはジインが見えない力で動かしているからで、正体はただの合成紙だ。
「最近、妙にコントロールがうまくなったんだよな」
 白い指先が、ぴん、と蝶を弾く。ひらりと舞い上がった蝶は、部屋の中を一周してからソラの鼻先にとまった。
「このくらい軽いものなら目を閉じていても自由に動かせる。何の役に立つってわけじゃないけどな」
 まるで羽を休めるようにゆっくりと閉じたり開いたりする蝶をそっとつまむと、ソラは部屋の中へ放した。
「食事を作るけど、なにか食べたいものある?」
 ソラの問いに、ジインの瞳がきらりと輝く。
「オムライスとコンソメスープ!」
「ええー、またぁ?」
「なんだよ、何食べたいかおまえが聞いたんだろー」
「でも昨日も一昨日もその前もオムライスだったじゃん!」
「だって美味しいんだもん、おまえのオムライス。なあ、いいだろオムライスで。なあなあ」
 オムライス、オムライスと連呼するジインに、ソラは大げさなため息を吐いて言った。
「わかったよ。作っておくから、その間にシャワー浴びてきなよ」
「ん、わかった」
 大きなあくびをして、ジインがベッドから立ち上がる。
 寝崩れてしわが寄っているシャツは、襟元まできっちりとボタンが留められていた。
 そのことにわずかな違和感を覚えながら、ソラは空になった袋をくしゃりと丸めた。
 かたわらでふと足を止めたジインが、眉根を寄せる。
「おまえ、もしかしてまた背が伸びた?」
「あ、ばれちゃった?」
 ジインよりわずかに高くなった目線でにやりと得意げに笑うと、ジインが顔をしかめた。
「一ヶ月かそこらで急に老けるなんて、本当にでたらめだよなおまえの成長は」
「老けたんじゃなくて、“育った”んだよ!」
 『神の左手』のアジトにいる頃から始まっていたソラの“成長期”は、ここ数日に至りようやく速度を緩めたものの、この一ヶ月でソラはジインとほぼ同い年に見えるほどまで成長していた。
 明らかに異常な速度の“成長”だったが、『貧困街』に暮らしていた頃にも何度か似たようなことがあったので戸惑いはなかった。ソラの成長は時として一定ではなくなる。十歳のジインに拾われた当時まだ赤ん坊だったソラは、何度かの急激な“成長期”を経て、二年足らずで十歳児ほどにまで成長した。見た目はそう見えずとも、ソラの実際の年齢は六、七歳なのだ。
 “ヒトガタ”ゆえの異常な“成長”なのだろうが、ソラはこの変化を歓迎した。
 もっと背高く、もっと屈強に。この手でジインを守れるように、もっと強くなりたい。
 まるでその想いが、体の成長を急かすようだ。
 そんな想いを知ってか知らずか、ジインはソラをつま先から頭まで半眼でじろりと見上げ、おもしろくなさそうに言った。
「そもそも弟の分際で兄貴よりでっかくなるなんて、空気読めないというかなんというか」
「しかたないだろ、勝手に伸びちゃったんだから。一応オレは止めようとしたんだけど、背が勝手にね?」
「くっそ、嫌みか。あーあ、小さいほうが可愛かったのに。寝る時の抱き心地とかさー」
「ふふん、これで冬場になってもジインのアンカ代わりにされることはなくなるね。あ、これからは逆に抱きしめてあげようか? 電気毛布的な意味合いで」
「は? なにそれ嫌だよ暑苦しい」
「うわー今まで散々オレを抱き枕にして暖をとってきたくせに見事な棚上げっぷりだね。いっそ清々しいよ。あ、タオルは洗面所に新しいの出してあるからそれ使って」
「ん、わかった。ありがとう」
 脱衣所を兼ねた洗面所のドアが閉ざされる。かちりと控えめな音を立てて、内側から鍵がかかった。
 小さなその音が、妙に鼓膜に引っかかる。
「……べつにのぞいたりしないのに」
 唇を尖らせて呟く。
 廃工場で暮らしていた頃は、二人とも素っ裸で着替えたり一緒に風呂に入ったりしていた。
 今さら隠すようなものでもないのに。
 見せたくないのだろうか。
 ――何を?
 肌の内側から滲むように広がる黒い花の形が、ソラの脳裏によみがえった。
 あの日『ハコ』を逃れたソラはジインを背に乗せたまま雲に隠れて陸島の側面を飛び続け、陸島の南東部へと逃れた。
 魔法の使い過ぎで意識を失ったジインを抱えてたどり着いた先は、崩れかけた旧市街の廃墟。
 電気も水もない廃墟の片隅で、ソラは意識の戻らないジインを抱えたまま一睡もできない数日を過ごした。
 もしかしたら、今日が最後かもしれない。明日が最後かもしれない。
 そんな堪え難い恐怖に震えるソラを弄ぶかのように、“終わり”の気配は足音を高らかに響かせてジインのまわりを徘徊し続けた。
 けれども、どういうわけか、終わりはあと一歩のところでその歩みを止めたらしい。
 一時は文字通り虫の息で、今にも命の灯火がかき消えてしまいそうな状態だったジインだが、意識を取り戻しものを口にできるようになってから状態は少しずつ快方に向かい、徐々にではあるが、他愛無い会話ができるくらいに体力も取り戻していった。
 そして。
「うまっ」
 オムライスをほおばったジインが、嬉しそうに顔をほころばせる。
「おまえ、少しの間に料理の腕ホント上達したよなぁ。将来メシ屋とかやったらいいんじゃないか?」
「ただレシピどおりに作ってるだけだよ。でもいいね、メシ屋。おもしろそう。そしたらジインがウェイターやる?」
「ああ、いいね。あの長いエプロン一度つけてみたかったんだ」
「あー、超似合いそう……」
「なんだよ、そのちょっと嫌そうな顔は」
「だってさージインがあの格好したら似合い過ぎてさーすぐに近所のおばさま方のアイドルになってさー雑誌の取材とか来てさーイケメン過ぎるウェイターとか騒がれてさーそのうちストーカーとか現れてさーなんかいらないトラブルが発生しそうで」
「なんだよそのマイナス思考は」
 他愛無い会話に笑いながら、頭の片隅では葛藤がぐるぐると渦を巻く。
 この空気を、笑顔を壊したくない。
 けれど、今日こそは訊かなくては。
 皿が空になった頃を見計らって、ソラはおずおずと切り出した。
「あ、あのさ……体のこと、だけど」
「うん」
「具合は、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
 考える素振りも見せずにジインが即答する。それが不自然で、ソラはさらに問いを重ねた。
「大丈夫って、具体的にどんなふうに」
「大丈夫に具体的もなにもないだろ」
 先ほどの他愛無い会話とまったく同じ口ぶりでジインが笑う。
 その不自然さが、返って不安を煽った。
「でも、竜毒は」
「だから大丈夫だって。ごちそうさまでした!」
 ジインがぱちんと手を合わせる。
 その音は、まるで会話を断ち切るようで。
「後片付けはおれがやるから、おまえシャワー浴びちゃえよ」
「……うん……」
 立ち上がったジインが手際よく食器を重ねて運ぶ。
 流しの音を背で聞きながら、ソラはすごすごと浴室へ向かった。
 脱いだ服をため息とともにプラスチックのカゴの中へ放り、浴室の明かりをつける。
 黄色みを帯びた小さな電球が、ひび割れたタイル張りの壁を照らした。
 浴槽の無い手狭な浴室だが、かつてはドラム缶に溜めた雨水を風呂として使っていた二人には十分すぎる設備だ。
 ちゃんとしたベッドで眠りたい。綺麗な水を使いたい。
 体の状態が落ち着いてきたジインの希望で数週間前に借りたのが、この小さなアパートメントだ。
 『彩色飴街』の南の外れの、地下5階。必要最低限の家電が備え付けられた、東にしてみればかなり上等の貸部屋だ。
 東三十七楼五層は比較的治安の落ち着いた地区で、ある程度の地位と金を持った人間が恋人や愛人を住まわせたり、自らが逗留するために部屋をもっていることが多いらしい。
 管理人の老婆は“余計な詮索は命取り”という考えの持ち主らしく、交渉の間もこちらと一度も目を合わせないままだった。それなりの額を上乗せした家賃を受け取った後は数階下の自室へと引きこもり、以来一度も顔を合わせていない。
 ベッドは1台しかないが、綺麗な水も湯も出る。停電はままあるが電気もつく。トイレも水洗だ。コンロもあるし、オンボロだが洗濯機も冷蔵庫もついている。3層上の隣の楼には小さな市場があり、大体の生活必需品はそこで揃えることができた。
 廃工場での暮らしと比べれば、天国のような生活だ。
 だから、つい忘れてしまいたくなる。
 今は息を潜めている、“死神”の存在を。
 ――また今日も訊けなかった。
 旧市街で息も絶え絶えのジインを腕に抱き、終わりの足音に怯えて過ごしたあの時から、二人の間で竜毒の話題はまるでタブーのように避けられていた。
 考えても仕方がない。終わりの気配を思い出して、お互いに苦しくなるだけだ。
 竜毒は消えない。
 竜毒に冒された者は、いつか必ず――……。
 その“いつか”がいつなのかは、誰にもわからない。
 今日か。明日か。明後日か。
 もしかしたら、今この瞬間が、最後かもしれない。
 だから、今だけは楽しく。今日だけは、幸せに。
 そんなふうに不安から目を背けたまま、一日一日をやり過ごし、今に至る。
 けれど今、ジインは普通の人と何ら変わらない生活ができるほどに体力を回復している。
 もし、まだ、少しでも希望があるのなら――……。
 洗い立てのタオルでがしがしと頭を拭きつつ浴室を出ると、後片付けを終えたジインがベッドの上できらきらと目を輝かせていた。
「ゲームするぞ!」
 その手に握られているのは、ソラが市場でたまたま見つけてきたカードの束だ。
 いつのまにか、夜は二人でカードゲームをするのが日課となっていた。
 広げられたカードを前にお互いの指先を凝視し、動きを止めたままじりじりと時間が流れる。
「……ジイン、その7早く出しなよ」
「おまえこそ、その2をさっさと出せ」
「往生際が悪いよ」
「その台詞、そっくりそのままおまえに返す」
 数秒の間を置いて、お互いの手が同時に動く。そのまま畳み掛けるようにカードを重ねていき、コンマの差でジインの手札が先に無くなった。
「ああもうっ! また負けたああっ!!」
 虚しく残ったカードを場へ叩き付けると、ソラはそのままベッドに突っ伏した。
「もおおっ! あと少しだったのにーッ!!」
「というか、スピードと反射が勝負のゲームでどうしておまえが勝てないんだ? 動体視力はおれよりずっといいはずだろ」
「いくら動体視力がよくても数字が絡んだら一瞬わからなくなるだろ!? 9とか8とか似てるし! あと6も!」
「そうか。脳ミソが残念な感じなのか。残念だな」
「残念って二回も言うなああっ!!」
 あれこれとゲームを変えて勝負を繰り返すうちに、ぼんやりと空が白み始める。
 シーツの上に散らばったカードに、ジインが寝そべりながら手を伸ばした。
「ジイン、そろそろ寝たら?」
 眠そうな目を必死でこじ開けるジインに、ソラが声をかける。
「んー……」
「さっきから同じところばっかりめくってるよ」
「んー……」
 聞いているのかいないのかわからない返事を繰り返しながら、のろのろとした動きでジインが2枚目のカードに手を伸ばす。
「ほら、また同じカードだ。それめくるのもう四度目だよ? もう終わりにして寝ようよ」
「まだ……もう少し……」
 言いつつも、かろうじて開いていたまぶたがついに閉じ、数分と経たないうちに呼吸が寝息に変わった。
 一日の終わりはいつもこうだ。
 しぶとく粘るように朝方までゲームをして、最後は気を失うように眠りにつく。
 そうして昼過ぎか、時には夕方まで、ジインはこんこんと眠り続けるのだ。
 カードを握ったまま眠る横顔を見下ろしてため息を吐くと、ソラは散らばったカードを拾い集めた。
 ジインの体の下から上掛けを引っぱりだすと、転がすようにしてそのままベッドへと寝かせる。
 ふと、襟のボタンに目がとまった。
 襟をきっちり締めるのって苦手なんだよな。なんかくすぐったくて。
 かつて廃工場で暮らしていた頃に、そんな台詞を聞いたはずだ。
 穏やかな寝息を聞きながら、小さなボタンにそっと手を伸ばす。
 指先は触れるか触れないかのところでぴたりと止まった。
「……」
 竜毒は。
 ジインの体は、今どうなっているのか。
 訊けないまま、触れられないまま、ただ時間だけが過ぎていく。
 朝を迎えて動き始めた街の気配を遠く頭上に感じながら、ソラはソファに身を委ね、青白い光に染まった部屋をぼんやりと眺めた。
 何かが凍り付いたような、不自然な時間。
 切り取られて水槽にでも籠められたような時間を、行き先も定まらないまま、ソラはぽつんと取り残された浮きのようにただたゆたっていた。

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