053 奈落の底にて

「う……」
 こめかみがずきんと痛む。
 凄まじい異臭と不気味な暗闇の中で、ジインは目を覚ました。
 背中には、上着ごしに硬く冷たいコンクリートの感触。
 ぼんやりと見上げる先は、縦横無尽に張り巡らされた電線と、その奥で白く輝く川。
 そして川を挟んだ両側に広がるのは、星の煌めく夜空のような闇だ。
 ――違う、あれは星じゃなくて、灯りだ。
 巨大な谷の両側面にへばりつくようにして広がる、『彩色飴街』の灯り。
 そしてそれに挟まれるように、遥か頭上で白く輝く川に見えるのは、空だ。
「……奈落の、底……?」
 どうやら奈落の底≠ニ呼ばれる谷底に墜ちたらしい。
 そうだ、たしか鉄橋に激突して――。
 体を起こそうとして、ジインは両手の自由が利かないことに気づいた。
 両手が頭の上でまとめて縛られ、どこかに繋がれている。
 嫌な汗がどっと吹き出す。
 捕まったのか? 魔法院に?
 暗すぎて周りの状況がよく把握できないが、近くに人の気配は感じられない。
 小さな生き物が走り回る音。たぷたぷと水が揺れる音。シューシューと何かが吹き出す音。
 夕闇とは違う、どこか揺らめくような不均等な暗闇に、不気味に生暖かい、淀んだ空気。
 そして甘ったるさと刺激が入り交じったような、なんとも言えない悪臭が充満している。
 ジインは息を殺して手を動かし、指先で手首に巻き付いているものの素材をそっと確かめた。
 ……電気コード?
 肌を滑るつるりとした手触りに、安堵の息を吐く。大丈夫だ。
 どうやらこれを縛った人間には、自分が魔法士であることはバレていないようだ。
 電気コードを構成する素材は、ビニルと銅線だけ。指先に意識を集中して、組織の連結部分を断絶するイメージでコードをなぞると、電気コードはいとも容易くパチンと切れた。
 手首に巻かれていた電気コードを取り払うと、ジインは音を立てないよう慎重に体を起こした。周囲をうかがいつつ、自分が倒れていた大きなコンクリート片の上に立って辺りを見回す。
 暗い上にうっすらと煙っているので視界はこの上なく悪いが、ところどころに橙色の炎がちらついて辺りを照らしているので、ぼんやりとではあるが周囲の様子を把握できた。
 見渡す限りの瓦礫の原。巨大なコンクリート片や鉄くず、車などが、至る所に小さな山を作り、その隙間にゴミや水が溜まって悪臭を放っている。あちらこちらでちらつく炎は、自然発火によるものだろうか。大小さまざまな鉄筋が、まるで立ち枯れた木々のようにあちこちに突き刺さり、頭上の暗闇からは複雑に絡み合った無数の電線がだらりと下がって、まるで薄気味悪い森のようだ。
 地獄というところが本当にあるのなら、こんな感じかもしれない。
 まるでこの世の絶望を残らず集めて闇に浸したような、陰鬱な場所だ。
 これが、奈落の底。
「……ソラ、いるか?」
 近くに人の気配はないが、どこで誰が聞いているかわからない。音量を落として、ジインはソラに呼びかけた。
「どこだ、ソラ……返事をしてくれ……!」
 ずきんと痛むこめかみに触れると、流れた血が乾いたざらりとした感触が指先に残った。
 あの時、暗闇の先からとつぜん現れた鉄橋を避けきれずに激突して、それからの記憶がない。
 意識を失った状態であの高さから落下したにも関わらず、自分がこうしてほぼ無傷で生きているということは、おそらくソラが何かしらの手立てを打ったのだろう。
 けれど、その肝心のソラの姿が見当たらない。
 いったい、どこへ行ってしまったのだろう。
 自分たちが奈落へ墜落したことを、魔法院は把握しているのだろうか。
 腕の端末を確かめる。
 あのアパートメントを脱出してから、一時間と少し。
 ここに墜落してからは、それほど長い時間は経っていない。
 頭上の闇を見上げる。西と東を隔てるこの谷の間には『彩色飴街』の西と東を繋ぐ電線や配管が張り巡らされており、それは下へ行けば行くほど数を増す。だからヘリコプターはおろか、魔法士の飛空でも、空から谷底へ下りるのは難しい。下りてくるとしたら、壁伝いにだろう。
 魔法院が墜落を把握しているとしたら、そろそろ追手が谷底へ下りてくる頃だ。
 ……急いでソラを探して、どこかへ身を隠さなければ。
 ジインはその場にかがみ込むと、上着のポケットから小さなライトを取り出した。遠くから誰かに見咎められないよう、物陰で慎重に明かりをつけて足元だけを照らす。
 そのとき、ジインは足元のコンクリートがやけにキラキラと煌めいていることに気づいた。
 傾いた巨大なコンクリート片にそっと触れると、さらりとした何かが手に付着する。
 指先についた銀色の粉末が、闇の中で明かりを受けてキラキラと光る。
「……灰?」
 よく見ればジイン自身、まるで頭から灰をかぶったようにコートも髪も銀の灰だらけだ。
 明かりを掲げてみると、辺り一面、いたるところで銀の灰が光っている。
 ――これは、竜灰だ。
 竜の肉体は再生能力が高く、どんな傷を受けてもたちどころに塞がってしまう。けれどその再生能力が追いつかないほど激しく肉体を損傷したり、あるいは肉体が『核(コア)』を失ったり、『核』から切り離されたりすると、竜の肉体は銀の灰になって消える。
「……ソラ……」
 指先の灰を握りしめる。
 この灰は、おそらくソラの体だ。
 『核』を持つ本体≠ゥら切り離された部分だけが灰化したのか、それとも再生できないくらいに体全体が損傷して、『核』だけを残して肉体すべてが灰化したのか。
 ばくばくと心臓が鳴る。
 竜の『核』は、どんな衝撃を与えようとも、魔法士による魔法でなければ破壊できない。
 鉄橋に激突した時、ソラに攻撃を仕掛けられるほどの距離には、自分の他に魔法士はいなかった。
 だから、ソラの『核』はたぶん無事だろう。
 たとえ肉体を失っても、『核』さえ無事であれば、竜は肉体を再生できる。
 ――でも、その『核』はいったいどこへ?
 周囲を広くライトで照らしてみる。銀の灰が光る範囲の広さにジインは絶句した。
 どうして、こんなに広範囲に竜灰が?
 竜型のソラの肉体がすべて灰化したとしても、範囲が広すぎる。
 ソラは、いったいどうなったのか。
 近くにいないということは、自力で移動できる程には、肉体が残っているのだろうか?
 それとも、肉体すべてが灰化して、完全に『核』だけの存在に?
「!」
 はっとして顔を上げる。人の声だ。こちらへ近づいてくる。
 おれを縛り上げた奴だろうか。
 すばやく辺りを見回すと、ジインは巨大なコンクリート片の隙間に身を潜めた。
「――だから、ホントなんだってば!」
 幼さの残る甲高い声が興奮気味に言う。
「あんなにキレイな人間初めて見た! もしかしたら妖精……いや、天使かも! たまに落ちてくるマネキンみたいでさ、顔がすっごくキレイなの!」
「じゃあマネキンなんじゃね?」
「だから、ちゃんと生きてんだってば!」
「上から落っこちて生きてる人間なんてまずいないよー。たぶんマネキンだよーほら、最近流行りのゴムでできてるあのヤらしいヤツ。充電すると動くっていうー」
「あーっアレまじでビビるよな! 首とかもげてるのに笑っててチョーこえぇの!」
 足音は三人分か。こんなに足場の悪いところなのに、近づいてくる速度が速い。きっと歩き慣れているのだろう。この辺りに詳しい人間だろうか。
「だからァ、ヘンな風船がいっぱい――あああっ!! い、いないッ!?」
 慌てふためいた甲高い声が、ちょうどジインが倒れていた辺りをぱたぱたと駆け回る。
「ああっホラこれ!! 縛っておいたコードが切れてる!! 逃げられたんだ!! うわーんせっかくのオイラの獲物がー!!」
「いやー元々いなかったんじゃね?」
「残念ながら白昼夢だった可能性は拭いきれないねーこの辺ガスが濃いしねー」
「ちがーう! 夢じゃない! ちゃんと触った! あったかかったもん! おまえらがモタモタしてるから逃げられちゃったんだろ!! バカバカのろま!! アホまぬけ!!」
「なんだと! アホまぬけって言ったほうがアホまぬけなんだぞ!」
「うわー、アホまぬけって言ったほうがアホまぬけなんだぞっていう台詞のアホまぬけ感って果てしないなーどっちもどっち感はんぱないねー」
 何やら低レベルな会話でわあわあと騒ぐ三人組の様子をそっとうかがう。
 長身が一人に太めが一人、チビが一人。ありったけのボロ布を体に巻き付け、身動きがしづらそうな格好をしている。武器の類いは見当たらない。指名手配されている自分の顔を知らなかったことからみても、魔法院や賞金稼ぎとは無関係のようだ。
 このまま彼らがどこかへ行くのを待つか、それとも……。
 そのとき、チビの胸元にきらりと光ったものを見て、ジインははっと息を呑んだ。
「――おい!」
 隠れていたコンクリート片の上に飛び乗ると、ジインは三人組を見下ろした。
 ぴゃっ! と変な悲鳴を上げて飛び上がった三人組が、ジインの姿を見て目を丸くする。
「ああっ!! ほらあれ! あいつだよ!」
「うわーっ! ホントにいた!! なんだなんだ、誰だおまえはッ!!」
「すごい、気配に全然気づかなかったよー! ホントに妖精だったりしてー?」
「ほらな、ほらな、マネキンみたいにキレイだろ!?」
 どこか得意げな様子でチビがこちらを指差してぴょんぴょん跳ねる。そのチビをまっすぐに見据えて、ジインは手のひらを差し出した。
「その鍵はおれの弟のものだ。返してくれ」
 びくりと体を強ばらせたチビが、首から下げていた鍵をぱっと手のひらで隠す。
「か、鍵?! いきなりなに言ってんだ……これはオイラが拾ったんだ、だからもうオイラのもんだッ!」
 顔半分を薄汚れた布に埋め、さらに大きすぎる帽子をすっぽりかぶったチビは、胸元の鍵を握りしめながらジインを睨んだ。
「それに、この鍵がおまえのだっていう証拠はあるのかッ? 言いがかりで他人の獲物を横取りするつもりなんじゃないのかッ!」
 噛みつくように言うチビに、ジインは自分の襟からまったく同じ形の鍵を引っぱり出すと、見せつけるようにして顔の横で揺らしてみせた。
 チビの目が丸くなる。
「あれ、同じ鍵じゃね?」
「ぴったり同じカタチだねー」
 長身と太めがそれぞれ言って、となりのチビをちらりと見る。
 ボロ布に半分埋まったチビの顔に戸惑いが滲んだ。
「な、なんだよ! 拾ったモノは拾ったヤツのモノ=I それがここの常識だろ?!」
「でもあいつ、返せって言ってんぞ?」
「持ち主が目の前に出てきちゃったらねー、ちょっと返さないわけにはいかないよねー」
 両側から言われて、チビがむすりと黙り込む。
 ジインは少し大げさに悲しげな表情を作ってみた。
「とても大切なものなんだ……頼むから返してくれ」
 切実さのにじむ声音にチビは息を呑むと、汚れた頬を赤らめてうーとかあーとか唸りながら、迷うようにきょろきょろと視線を泳がせた。
 ジインは少し考えてから、だめ押しとばかりに今度は両手を広げて艶やかに笑ってみせた。
「……ああ! もしかしておれとお揃いだから手放したくないのか?」
「はああ?! だっ誰がおまえとお揃いなんて!」
 チビは慌てて首から鍵を外すと、思い切り振りかぶってジインに投げつけた。
「ピカピカでキレイだからちょっと着けてみただけだ! 隙間に落ちそうだったのを拾ってやったんだからな! 感謝しろ!」
 ぎゃんぎゃんとチビが吠える。まるで小型犬みたいだなと思いながら、ジインは手のひらに収まった鍵の感触にほっと息を吐いた。
「そうだったのか……助かったよ、どうもありがとう」
 心からの礼とともに、無意識に微笑む。
 その笑顔に三人組が硬直したことには気づかないまま、ジインは手元の鍵に視線を落とした。
 間違いなく、これは廃工場の鍵……ソラが首から下げていたものだ。
 ヒトの姿のときも竜の姿のときも、ソラが肌身離さず身につけている、大切な揃いの鍵。
「なあ、これをどこで拾ったんだ?」
 惚けた表情でぽかんとジインを見つめていたチビは、急に問われてはっと瞬きをする。
「えっ? あ、えと、拾ったのはね、うん、おまえのそばに落ちてた! 山盛りの灰の中に、ぽつんって。ちょうどこのへんだったかな?」
 立っていたコンクリート片の上でタンタンと足を踏みならしたチビがあれ? と首を傾げた。
「そういえば、いつの間にか灰がずいぶん減ってるなぁ。隙間に落っこっちゃったのか? キラキラしてて綺麗だったから袋に詰めて持って帰ろうと思ってたのに……」
 竜灰は時間が経つと徐々に消えてなくなる。
 鍵がすぐそばに落ちていたということは、ソラの本体≠ヘ自分とほとんど同じ場所に墜落したということだ。
「……なあ、この辺りにおれの他に誰かいなかったか? 金髪で、背はこのくらいで」
 かすかな望みをかけて訊く。けれどその返答は、予想どおりのものだった。
「いいや? 倒れてたのはおまえだけだったぞ」
 きょとんとした顔でチビが言い、ジインはため息をかみ殺した。
 首にかけていたはずの鍵が灰の中に残されていたということは、ソラは完全に肉体を失った可能性が高い。
 もしソラが『核』だけの姿になったのだとしたら……。
「なあなあ! あの風船、いったいなんだったんだ?」
 好奇心で瞳をキラリと輝かせたチビがジインを見上げて言う。
「最新のパラシュートか何かか? 割れた後に灰になるなんて、すっごく不思議だな!」
「風船?」
「おまえと一緒に落ちてきた風船だよ! すごくでっかい、家くらいあるやつ!」
 こーんな、とチビが両腕を広げて大きく円を描く。
「それが何個もくっついたまま落っこちてきてさー、最初見た時すっごいビビった! ちょー巨大なブドウが落ちてきたかと思ったね。電線とか配管もぜーんぶぶった切りながら落ちてきて、地面に衝突した途端にすごい音で弾けて。バアアアアンって、もうね、大爆発!」
「あ、その音はオレにも聞こえた」
「ボクも聞いたなー」
「ここらじゃゴミが爆発すんのは珍しくないんだけど、あの音はいつもの爆発とちょっと違ってたよな」
 うんうんと、長身と太めが顔を見合わせてうなずく。
「で、急いで落ちた場所を見に来たんだ。そしたら灰の山の中におまえが倒れてて。死んでるかなーと思ったら息してて、びっくりした!」
 ぴょんぴょんと飛びながらチビが興奮して話す。
 風船が弾けて灰になった?
 灰になったということは、その風船とやらは竜の肉体の一部なのだろう。
 巨大な、風船。
 ――墜落の衝撃を和らげようとした?
 ソラは、おれを助けるために体を変化させたのか?
「……鍵が落ちていたのは、この辺りだよな?」
 言いながら、ジインは自分が倒れていたコンクリート片へと飛び乗った。
「鍵と一緒に、このくらいのガラスの玉が落ちてなかったか?」
 すがるような思いで、人差し指と親指で小さな丸を作ってみせる。
「ガラス玉?」
 チビが怪訝な顔で首を傾げる。
 竜の『核』は、手のひらで転がせるほどの大きさの、透明なガラス質の球体だ。
 ジインはその場にしゃがみ込んで、足元をライトで照らした。
 ジインが倒れていたコンクリート片には、ゆるい傾斜がついている。
 そして巨大な瓦礫が折り重なってできた足場には、そこら中に黒い隙間が開いていて。
 もし、『核』がこの上を転がったとしたら……。
 傾斜の先の、瓦礫の暗い隙間を、ジインはライトで照らした。
 真っ黒に濁った水面が、下の方でたぷたぷと揺れている。
 こぽりと泡立つ黒い水の動きはとろりと鈍く、普通の水より粘度がありそうだ。
「……ここの水は深いのか?」
「ああ? どーだろ。元は川だったらしいけど、年々水位が上がってるから、まあ、けっこう深いかもな」
「水質は酸性?」
「ハハッ、酸性もなにも! ここらに溜まってる水にゃあ、どこぞの工場の汚水やら廃棄物のヤバい薬品やら何やらが混ざりまくってんだ。ちょっと触っただけでも肌がタダレて溶けるぞ!」
 ごぽ、と水が泡立つ。
 魔法院で見た竜の『核』のサンプルはすべて、強い酸性の液体の中で保管されていた。
 竜の肉体が再生するのを防ぐためだ。
 もし、ソラの『核』がこの黒い水の中へ落ちてしまったとしたら……。
 手のひらの鍵を握り込む。
「……まあ、やるしかないよな」
 自分の鍵と一緒に、ソラの分の鍵も首から下げる。
 ばさりと上着を脱いだジインに、三人組がぎょっとする。
「お、おい、なにする気だ?」
 問いかけに応えないまま、ジインは無言でシャツのボタンを外していく。
「ちょっ、えっ? おまえ、まさか、ここの水に飛び込む気じゃないだろうな?!」
「ええっ! そのガラス玉を探すために?!」
「おいおいおい、これただの水じゃないって言ったろ?!」
 死ぬぞ! と周りを囲んで慌てふためく三人組を無視して、ジインはシャツを脱ぎ落とした。
 体に広がる花斑を見た三人が息を呑む気配がしたが、かまわない。
 ブーツの紐を解いて脱ぎ、裸足になって隙間を覗き込む。
 巨大なコンクリート片が折り重なってできた空間は思いのほか広く、入り口の隙間が狭いだけで、人ひとりが潜るスペースはありそうだ。
 わずかな足場を見つけて隙間の中へするりと滑り込む。薬品じみた刺激臭に息が詰まった。ネズミやら、なにか別の生き物やらが、ライトの明かりを避けて逃げていく。
 コンクリートから突き出した鉄筋に掴まって、ジインは黒い水の淵にしゃがみ込んだ。
「お、おいバカな真似はやめろ!」
 隙間の縁からこちらを覗き込んで、チビが怒鳴る。
「絶対見つかんないよ、そんなにちっちゃいモノ! 水の中にも瓦礫がいっぱい沈んでるし、そもそも水に落ちたかどうかもわかんないんだろ?! ホントに肌が溶けるんだぞ?! 潜ったりしたら死んじゃうよ、その玉とやらがどんだけ高価か知らないけど死んだら元も子もないだろッ!」
 どこか必死な様子でチビが言う。
 右手に意識を集中しながら、ジインは上の空で応えた。
「大事なんだ」
「え……」
「自分の命より、ずっと」
 チビが息を呑み、長身と太めが顔を見合わせる。
 きゅ、と唇を引き結ぶと、ジインはおもむろに水の中へ手を突っ込んだ。
 どす黒く異臭を放つ液体が、どぶりと揺れて腕を呑み込む。
 ぎゃーとかひーとか悲鳴を上げて、三人組が顔を背ける。
 そのまま数秒待ってから、ジインはゆっくりと腕を上げた。
 ライトで照らした右手は、ただれてもいなければ、濡れてさえいない。
 手のひらをひっくり返し、何度か握りしめて、異常がないことを確認して「よし」と呟く。
「……あ、あれ? 溶けてない?! 濡れてもいないぞ?! な、なんでッ?!」
「これアレじゃね?! サプライズってやつじゃね?!」
「すごーい! あんた手品師なのかー?!」
 頭上でやんややんやと騒ぎ立てる三人組を無視して、ジインは自分の腕を撫でた。
 わずかに手応えのある見えない力が、肌を覆っている。
 やはり防護壁をうまく体にまとわせれば、水に触れずに済むようだ。
 まぶたを閉じて意識を集中すると、ジインは防護壁を全身にまとわせ始めた。
 途中で決壊して水に触れたりしないよう、念入りに体を包む。
 水底を両手で探せるように、『支柱晶』は出さない。
 魔法を使って水に触れずに水中に潜るなんて、初めての経験だ。
 うまくいくかどうかわからないけれど、やるしかない。
 闇をそのまま液体にしたような水面は、光さえも呑み込みそうなほどにどす黒く濁っている。
 ――もし途中で魔法が途絶えてしまったら?
 首から下げた二つの鍵が、肌の上で揺れてちりんと鳴った。
「……まあ、その時はその時だ」
 体がちょっと溶けたとしても、ソラを永遠に失うよりはましだ。
 何度か深呼吸をして、ふ、と息を止めると、ジインは足をそっと黒い水へと伸ばした。
 白いつま先が水面に触れそうになったその時、
「――ああもう、わかったよ!!!」
 チビが自分の服の中に手を突っ込む。
「ほら、これだろ! おまえが探してるのは!」
 弾かれたように顔を上げると、チビが怒ったように何かを差し出していた。
 どこまでも透明で、けれどわずかに屈折した光を放つ、美しい球体。
 長身と太めが同時にあっと声を上げる。
「おまえ、それ……!」
「灰の中に落ちてたの! あーもうッ! 売っぱらってお金にかえて、みんなで美味しいモノでも食べようと思ってたのに!」
「返せ」
 思わず手を伸ばしたジインを避けるように、チビが手を引っ込める。
「オイラが拾ったんだから、ホントはもうオイラのものなんだからなッ! ……でも」
 不機嫌そうな顔で、チビがこちらを睨みつける。
「条件次第では、返してやらなくもない」
「条件?」
 チビの眼差しが、ふいに真剣さを帯びる。
「できるかわからないけど……おまえの手品≠ナ、ちょっとやってほしいことがあるんだ」

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