温かな盾

 天宙暦894年 冬 廃工場にて

 ――夜のにおいがする。

 ぱかっとまぶたを開ける。闇の向こうに見慣れた天井が見えた。冷えきった部屋は紺色の夜に満たされていて、朝の気配はまだ遠い。
 ぬくぬくと温かい毛布にくるまったまま、ソラは頭だけを動かして時計を見た。棚代わりの空箱の上に置かれた、秒針のもげた時計。三日に一度は時間を合わせないと狂ってしまう壊れかけの針は、もうすぐ午前三時を指そうとしていた。
 ――“天使”が来る。
 もぞりと身をよじると、ソラは自分にぴったりと抱きついて眠る少年の名を呼んだ。
「ジイン」
 細身だがソラより頭半分背の高いジインは、まるで抱き枕のようにがっちりとソラを抱き込んだまますうすうと穏やかな寝息を立てている。冬になるといつもこうだ。どうやら常人より高いソラの体温で無意識に暖をとっているらしい。くっついて寝れば凍えずに済むのでお互い様な部分もあるのだが、動きづらいことこの上ない。
「ジイン……ねえ、起きてよジイン」
 密着している自分ごと体を揺さぶる。長いまつげで縁取られた薄いまぶたが、息がかかるほどの間近でかすかに震えた。
 起きたかな? 一瞬そう思ったが、ジインは低く呻いてソラをさらに強く抱き寄せたまま、いっこうに起き出す気配をみせない。
 しびれを切らして、ソラは抑えていた声のボリュームを上げた。
「ジ、イ、ン! 時間だよ、起きてってば! もう」
「――……」
 形よい唇がわずかに動く。耳を寄せると、温かな息に混じって寝言のような呟きが聞こえた。
「……さむい……ねむい……しんじゃう……」
「なに言ってんの、もう。いいから、ほら。起ーきーて!」
 まぶたを閉じたまま、ジインが低く呻く。
「……り……」
「え? 何?」
「……むり……」
「えー?! “無理”ぃ?!」
 言いながら、ソラは思わず体を起こした。毛布が肩からずり落ちて体を取り巻いていた熱が一瞬で冷える。できた毛布の隙間から入り込む冷気にジインが身を縮こませたが、かまわずソラは頬を膨らませた。
「なんだよ、一緒に見るって約束しただろ?!」
「……むり……ねむい……」
「戻ってきてからまた寝ればいいじゃん! 次はいつ見れるかわからないんだよ?!」
「……、り……」
 呻くように呟きながらジインが毛布の奥へと潜り込む。その呼吸が次第に深くなり、ジインの意識が深い眠りの底へ沈んでいくのがわかった。
「――もう! いいよオレ一人で見に行くから!」
 毛布から出て靴に足を突っ込むと、ソラは一人でベッドへ残ったジインを埋めるようにして手荒に毛布をかけた。上着を雑に羽織り、マフラー代わりの布を掴んで扉を押し開ける。部屋を一歩出ると、そこは冷えきった空気と濃厚な闇とで満たされた狭い通路だ。背後で閉まった扉が夜中らしからぬ派手な音を立てたが、ソラはかまわず歩き出した。
 歩きながら上着のボタンをしっかりと留め、首に巻いた布で顔半分をすっかり覆う。
 大人ではすれ違うのもやっとなほどに狭い通路だ。左側は冷えきった鉄の壁。右側の手すりの向こうは一階から三階まで吹き抜けになった広い作業場だ。重いビニルカバーをかぶせられたまま置き去りにされた機械たちは、まるでいにしえの巨大な生物の化石のように、息もせずただ闇の中に佇んでいる。
 足元の鉄板は歩みに合わせてきいきいと悲鳴を上げ、息は吐くたびに白く煙ってはどこへともなく散って消えた。
 真夜中の通路は真っ暗で目印もなく、ところどころで鉄板や手すりが抜け落ちている。普通ならばとても気軽に歩けるような場所ではないが、ソラの足取りは昼間と何ら変わりはない。異常なほどに鋭い五感を持つソラは、常人では何も見えないような暗闇でもものが見えるし、常人ではとても聞こえないようなわずかな音も拾うことができた。
 そう長くもない通路がコンクリートの壁に突き当たって終わる。あとは頭上に伸びる梯子を登るだけ。目的地はすぐそこだ。
 梯子の冷たさが手指に突き刺さる。皮が剥がれるほどではないが、まるで氷柱でも掴んでいるような冷たさだ。手袋も持ってくればよかった。ねぐらにしている制御室まで引き返しても数分とかからないけれど、ソラは我慢してそのまま梯子を登ることにした。
 制御室のベッドの中では今頃ジインがぐうぐうと寝こけているのだろう。
 ……一緒に見ようって約束したのに。
 かんかんと梯子を上る足音が思わず荒くなる。
 一度ベッドへ入るとジインは朝まで起きない。朝までどころか、放っておけば昼まで確実に起きてこないし、ひどい時には夕方近くまで寝続けていることもある。何もせずにただ睡眠をとるだけの時間がもったいないと感じるソラと違い、ジインは眠ることが大好きだ。
 だから必然的に、毎朝ジインを起こすのはソラの役目となっていた。
 けれど、今はまだ“朝”ではない。“シゴト”をするために市場へ行くわけではないし、腐っていない良質な食料を得るために少し遠くの朝市へ行くわけでもない。
 だから、いま無理やり起こすのはなんだか違う気がした。
 けれど。
「……約束、したのに……」
 梯子を上りきり、そこからコンクリートの小さな足場に飛び移ると、ソラは錆び付いた重い扉を肩を使って押し開けた。
 扉の隙間から飛び出した空気が、刃のように頬をかすめる。
「ぎゃー、さむいっ!!」
 思わず叫びながら、ソラは首に巻いた布を目の下まで引き上げた。
 廃工場の屋上は、二人が寝泊まりしている制御室と同じくらいの広さしかない。工場のまわりには大きな建物がないので、この狭い屋上に上ると、いつだって空中にぽつんと取り残されたような気分になった。
 寄りかかればへし折れそうな鉄の柵の前に立つと、ソラは暗い空を見上げた。
 完全に曇ってはいないが、雲が多い。上空は風が強いらしく、灰色の雲がまるで競い合うように同じ方向へぐんぐん流れていく。
 その雲の合間、ほんのわずかに見えた紺色の夜空に、ふっと白く細い光が走った。
 ほんの一瞬のことだ。見間違いかもしれない。ソラはそう思って、首が折れそうなくらい頭を後ろへそらせて空を見上げた。とめどなく流れる雲のわずかな切れ間に見える夜空をじっと凝視する。
 瞬きも忘れて見入るソラの視線の先を、再び白い光が過った。今度は間違いない。
 『天使の御御渡り』――数年に一度しか見られない、流れ星の群だ。
「すごい……」
 初めて見るその神秘的な光景に、ソラはただ夢中で空を見上げた。雲が邪魔でそのすべては見られないが、雲の向こうでは確かに“天使”が空を駆けているのだ。
 反り返った腹がぐうと鳴って我に返る。そうだ、こうしてはいられない。
 布の中にしまい込んでいた指先を出して、胸の前できゅっと組む。
「“天使さま”、どうかお願いです……」
 じっと空を見上げる。雲の端から白い光がのぞいた瞬間、ソラは叫んだ。
「ごはんがお腹いっぱい食べれますように!!」
 すべて言い終わるより先に、“天使”は小さな夜空を過って雲の端へと消えてしまった。矢のような早さだ。願いはきちんと届いただろうか。形式はよくわからないけれど、“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”だ。たくさん願えば、どれか一つくらい叶えてくれるかもしれない。
 最近覚えたばかりのことわざを実践するように、ソラは“天使”が雲間を過るたびに願い事を叫んだ。
「お肉が食べたいです!」
「新しい靴が欲しいです!」
「できれば底が厚くてかっこいい靴で!」
「時計も欲しいです!」
「ジインがしてるみたいな時計が!」
「アイスクリームが食べてみたいです!」
「ポテトチップスも食べてみたいです!」
「スパゲッティも食べてみたい!」
「うーん、食べたいもの多すぎてきりがないなあ……あっそうだ」
「食べ物がなんでも生る木が欲しいです!」
「ちょっとずるいかな……あっ、それから……」
 ふと気づいて、意識を空から逸らす。階下で何かが動く気配に、ソラはお腹の辺りが温かくなるのを感じた。おぼつかない足音だ。ああ、大丈夫かな。寝ぼけて踏み外して転がり落ちたりしなきゃいいけど。
 階下からゆっくり近づいてくる足音の頼りなさにハラハラしつつ、けれど振り返ることはしないで、空を見上げたままソラは待った。
 その間に“天使”がいくつか過ったけれど、願い事はし損ねる。
 背後で、ぎい、と扉が押し開けられる音がした。
「……うわっ」
 ふいに後ろから何かがのしかかる。毛布で風が遮られて、体のまわりがふわりと温かくなった。
「うう、さむい……!」
 頭から毛布を被ったジインがソラを抱き込み、背後からずっしりと体重をかけてくる。
「重い、重い、おーもーい!」
 言いながらペシペシとジインの腕を叩く。一見そうは見えなくてもソラの筋力は屈強な大人を軽く凌ぐほどなので、本当は重くも何ともないのだけれど。
「目、覚めたの?」
「覚めてない……」
 うめくようにジインが言う。その呼吸は深くゆっくりで、たしかに寝息に近い。意識は目覚めても、体はまだ眠っているのだろう。
「あっ、また流れた!」
 ソラの声に、うなだれていたジインが顔を上げる。二人が見上げる先で、大きな雲の切れ間を“天使”がたて続けに過った。
「おー、ホントだ。すごいな。結構いっぱい流れるんだ」
「オレもう二十個くらい願い事しちゃったよ。てゆうかジイン邪魔! 見えにくい! 手ぇどけてよ!」
 ソラの頭を押しつぶすように手を置き、そこへあごを乗せて空を見上げていたジインが、ふいにソラの頭をがしりと掴む。
「……おまえ、また背が伸びた?」
「ふふん、この三日で二センチ伸びた。新記録更新だね」
「なんでだよ……同じもん食ってるのに、なんでおまえばっかり背が伸びるんだ」
「さあね。成長期だからじゃない?」
「おれだって成長期だ!」
「えー、ジインはもう止まってるんじゃないの? 最近ジジくさいし」
「なっなんだとー!」
 人が気にしていることをー! などとわめきながら、両手で掴んだソラの頭をジインはゆさゆさと揺さぶった。
 赤ん坊のソラがジインに拾われてからもうすぐ三年。特異体質のおかげか、たったそれだけの間にソラは十三歳のジインと頭半分しか違わないほどにまで成長した。
 けれど、まだ足りない。
 雲間に“天使”を見つけると、ソラは素早く指を組んで言った。
「早くジインより背が高くなりますよーに!」
「はあ?! なんだよその願い!」
 直後に流れた“天使”に向かって、今度はジインが指を組む。
「おれはそれよりもっと背が高くなりますよーに! はい、阻止阻止」
「ちょ、阻止しないでよ!」
「ふん、弟の分際で兄貴の背を超すなんて100年早いね。ちょっとばかし成長が早いからって調子に乗るなよ?」
 むうっと頬を膨らませると、ソラは再び空へと向き直った。
「じゃあ……オレはジインよりむきむきマッチョになりますように!」
「ぶふぉっ! お、おまえがむきむきマッチョ?」
「なっなんで笑うんだよ!」
「だって……おまえのその顔でむきむきマッチョとか……はははっ! やば、夢に出そう。ひぃ」
 心底おかしそうに肩を震わせるジインを、ソラはじろりと睨んだ。
「言っとくけど、もうジインよりオレのほうが力持ちなんだからな!」
「はいはい、知ってるよ」
 ジインの手がソラの金髪をぐしゃぐしゃとかき乱す。子ども扱いするその手をはねのけ、片手でジインをひょいと担ぎ上げてその筋力の違いを見せつけてやりたい衝動に駆られたが、ソラはぐっと我慢した。
 少し前だったら思わずそんなこともしたかもしれないが、自分はもう大人だ。背だってぐんぐん伸びている。ジインのちょっとした子ども扱いぐらい、大目にみることができる。相変わらず腹は立つけれど。
 今に見てろと呟いて、ソラはもう一度指を組んだ。空に“天使”は見当たらなかったがかまわない。願いというよりこれは決意だから。
 オレは強くなる。ジインを守れるくらいに背高くたくましく、屈強な男になるんだ。
 いつの間にか空は厚い雲に覆われていた。上空の風は相変わらず強いようだが、先ほどまでと違って見渡す雲には切れ間がなく、重い蓋をぴたりと閉じてしまったかのようだ。
「ああ、曇っちゃったな。もう戻ろう」
 名残惜しいが、曇ってしまったのなら仕方ない。ジインの言葉に頷きかけて、ソラはあっと声を上げた。
「ちょっと待って! あと一つだけお願いしたい!」
 一番大事なことを願い忘れていたことに気がついて、ソラは慌てて空を見回した。夜空は暗い雲に覆い隠され、わずかな隙間も見当たらない。
「おいおい、もう十分だろ? あんまり欲張ると叶うもんも叶わないぞ?」
「じゃあ今までの全部取り消す!」
 必死で空を見上げるソラに、ジインが苦笑いする。
「なんだそりゃ。いったいどんなお願いだよ」
 問われて、ソラはぐっと唇を噛んだ。ジインには言えない。言えないけれどそれは、どうしても叶えたい願い。自分の力ではどうにもならない類いの願いだ。こればかりは、運命をつかさどる“天使”に願わなくてはどうにもならない。
 ああ、だからこそ、何よりも一番最初に願うべきだったのに。
「もう付き合ってられないな。おれは先に下りるぞ?」
 あくびをしながら、ジインが扉の向こうへと引き上げていく。
 ソラは目を皿のようにしながら、必死で雲の切れ間を探した。
 今までの願いは全部取り消してもかまわない。
 だから、どうか……。
 ソラの願いに反して、雲はどんどん厚くなっていくようだった。
 予報によれば、『天使の御御渡り』はそろそろ終わりを迎える時刻だ。けれど雲の向こうには、まだ残っている“天使”がいくつかはあるだろう。タイミングが合うかどうかはわからないが、見えなくても願ってみようか。それこそ夜明けまで願い続けていれば、まぐれで願いが届くかもしれない。
 “天使”の正体はただの流星だ。願いを叶える力があるなんて、本当に信じているわけじゃない。
 けれど、いま祈らなければ、それは一生叶わないような気がして。
 どうしてもあきらめきれずに、ソラは“天使”の姿を探し続けた。
 どれくらいの時間が経っただろうか。まだ夜明けは遠いけれど、闇の濃さがほんの少し薄まった気がする。
 階下から梯子を上がってくる気配がした。
 そろそろ止めにくるかもしれない予感はしていたので、怒られる覚悟をする。
 いったいいつまでそうしているつもりだ。いいかげんにあきらめろ!
 きっとそんな感じで叱られるだろう。
 扉を押し開けて戻ってきたジインがとなりへ並ぶ。
「いいか、一瞬だぞ」
「え?」
 なにが、と聞き返す前に、ジインは大きく振りかぶった。
「せえの!」
 思いきり腕が振られ、その手に握られていたものが音も無く夜空へと舞い上がる。
 小さな紙飛行機だ。
「あ……!」
 暗い空の真ん中で紙飛行機が白く燃え上がる。
 光を放ちながら空を行くそれは、まるで小さな流れ星のようで。
「ほら、早くしないとすぐ燃え尽きちゃうぞ」
 ジインの言葉に、ソラは慌てて胸の前で指を組んだ。
 白い光をまっすぐに見上げ、けれど想いは背後の少年へと向ける。
 天使さま。
 さっき願ったことは全部叶わなくてもかまいません。
 だから、どうか。
「……ジインの不幸は、すべてオレにください」
 自分にしか聞こえない声でそっと呟く。
 ジインが平穏無事でいられるように。ずっと穏やかに笑っていられるように。
 ジインに降り掛かる不幸や災難は、すべてオレにください。
 これから先、もしもジインがひどい怪我をしそうになったら、その怪我はすべてオレに。
 もしもジインの身によくないことが起こりそうになったら、それはジインではなく、オレの身に起こるようにしてください。
 傷も痛みも苦しみも、オレがジインの盾になって受け止める。
 オレは頑丈だ。どんな傷でもすぐに治る。何があっても死んだりしない。
 この身にどんな災難が降り掛かったとしても、次の日には傷も痛みもすべて消し去って、何事もなかったようにジインのとなりで笑ってみせるから。
 だからどうか、ジインの不幸、ジインの災難のすべては、オレを身代わりに。
 ジインさえ無事でいてくれたら、他のことはどうでもいい。
 欲しいものやしたいこと、その他の願い事は、自分たちの手で叶えていける。
 だって、ジインと二人なら。
 なんだって、できる気がするんだ。
 だから、どうか。
「あ……消えた」
 ジインの呟きに目を開ける。頭上にはただ重い鉛色が広がっているだけだ。
 ジインがソラのためだけにもたらした“天使”は、音も無く闇へと消えた。
「……うわっ!」
 背後からジインが毛布ごとのしかかってきて思わずよろめく。
「危ないなあ、もう!」
「ほら、さっさと戻るぞ! 進め、ソラ号!」
 ふざけてソラの背におぶさったジインが、ふいに身を震わせて毛布を引き寄せた。
「ううっ寒い……早くベッドへ戻ろう。おまえがいないと寒くて眠れないんだ」
「はいはい、どうせオレは湯たんぽ代わりだよ」
 大げさなため息を吐いて、ソラは背にジインを乗せたまま扉へと向かった。
 そう、今はまだ、温かな毛布の役割しかできないけれど。
 いつかきっと、ジインをすっぽりと覆う盾になってみせるよ。
 すべての不幸や痛みからジインを守る、温かな盾に。
 いつか、きっと。

 了

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